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高座郡西久保村の三堀五郎兵衛が助けた河童がお礼にともってきた徳利。
初代を五良兵衛、二代目五郎兵衛門、三代啓助、四代直径ウタ「姉」セキ「妹」へと伝わる。
日露戦争前横浜石川町へと引越し、茅ヶ崎を離れた。大正二年、県民生資料展覧会に出品され世人の注目を集めた。関東大震災にて一度は焼けたが、焼け跡から掘り出され川崎に住んでいた。大東亜戦争でも罹災し、ウタさんの主人の在所、静岡県茶所川根町千頭へ移っていった。
 
川根本町の河童徳利の碑:
河童徳利伝説の記された碑と
その前に五郎兵衛の墓碑(智満寺)

  かつてこの地区は円蔵といい、ほとんど田んぼが広がっていた。隣接して高田、香川、西久保などがある。鶴が台は円蔵の一部にできた地区である。西久保地区は三堀・内田・副田という姓が多く、三堀姓は、輪光寺の檀家であった。寺には宝物として過去帳が残っており、三堀は江戸時代のから姓であることがわかる。河童徳利に出てくるのが、三堀五郎兵衛。河童は、想像上の動物であるが、全国に数多くの伝説があり日本人の心の中に定着している。住職は鶴峯小学校でよく紙芝居を見たが、河童の話が多かった。茅ヶ崎の河童は間門川に現れた。この川が河童徳利にも登場する。
実は、私はその徳利を見たことがある。茅ヶ崎の三堀家は絶えてしまったが、今本物の徳利は千頭(せんづ:静岡)にある。100年ほど前に三堀家の2人の娘のうち姉は横浜で三堀を名乗り名をウタという。妹の方はセキという名で円蔵の小室家に実在する。そして、バイパスができる時、三堀家の墓地を国の土地にするためにお墓を整理することになった。その墓を整理するときに三堀ウタさんが訪ねてきて「河童徳利がほしい」と言ってきた。それまで河童徳利は小室セキさんが預かっていたのだが、この時ウタさんの家のある千頭に持って行ったのである。

 


かっぱどっくりグループは、輪光寺 関住職の話を元に探索し、何と静岡千頭で河童徳利を発見しました。河童徳利を伝えていたのは、三堀ウタさんの娘の(山田)玉枝さん。
白木箱に「河童徳利」と箱書きされている。陶磁器のため火災による影響は少なかったと考えられる。
口、作りは「左巻き」のロクロ目を残していて黒茶褐色。容量は六合二勺ほど、残念ながらお酒を入れても湧いてはこない。
山田さんは、川根本町の智満寺に河童徳利の碑を建て、五郎兵衛の墓も守っていた。
墓石には没年である文政七年(1824年)と刻まれている。石の風化が年月を物語っていました。
 
千頭にある河童徳利、色・肌触りでも重厚さを感じる徳利。箱には茅ヶ崎円蔵小室セキさんの名前も記されている)

 
 
 

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